以前の私は、

「我慢しなくていいんだよ~」

「無理しないで~」

「がんばらないで~」

といわれると、なんでか違和感が

ありました。



なぜならば、その言葉の意味を私は

今のままのあなたでいて、

変わらなくてもいいよ、

と、受け止めていたからです。



当時、自分のことが好きでない、

自分に満足していない私にとって

今のままの自分でいることは、今のこの、

得体の知れない何かにモヤモヤした

満足感のない人生が、その後も続いていく

ということ。



この状態から抜けだしたいのに。

がんばらなくてもいい、って言われても

やっぱり、納得できないです。



でも、この時わたしに

「我慢しなくていいんだよ」

「頑張らなくても良いんだよ」

と言ってくれた人が、私に伝えたかった

ことは。きっと、



「自分を犠牲にするのはやめて」



これが言いたかったのだと思います。

たしかにそうです、自己犠牲の我慢。

これは、やめたほうがいい。私も今は

それがよ~く分かっています。



ほんとうは、やりたくないのに・・・

仕方がなくやっている。なぜ?

それは、家族のため、友人のため。

でも、本当はやりたくない。だから

我慢して、自分を犠牲にしてやっている。



他には、たとえば夫婦間で何か課題が

見つかった時。ほんとうはお互いのために

議論するべき場面で、何も言わずに我慢

する。これは、波風立てたくないから、

という奥ゆかしさ(?)の裏側に、

(話し合うのがめんどくさいから

自分だけ我慢してやりすごせばいいや)

という、自己犠牲が存在しています。



これが、自己犠牲。



自分のためにしている「努力」じゃない。

だれかのために、我慢してやっていること。

それは、やめた方がいい。



なぜそう思うのか?私の独断と偏見になり

ますが、自己犠牲を長いこと続けていると、

そのうちだんだん

「誰も感謝してくれない」

「自分だけ損している」

と感じるようになり、不平不満がどんどん

溜まっていくからです。



もし、誰かのためにやっていることでも

自分が心からの喜びを感じてやっている

のであれば、それは私が自分の人生の目的

のために、やっていること。

それに、「自分だけが損している」とは

たぶん思わないですよね~。



自己犠牲は、自分の気持ちを抑え、我慢

している状態。その状態では、気の流れ

も滞り、気分もどんよりしていくことは、

目に見えています。



最終的に、体に不調があらわれたり。

誰かの気を引きような、おかしな発言や

行動にもつながりかねません。だから

やめたほうがいい。



でも、自分のための我慢はしてもいい。

それは「忍耐」と区別すると、ある方に

教えてもらいました。



たとえば、私は今、投資のスキルアップを

自分のための目標として決めています。

そのために、読みなれない経済新聞を読み

はじめたり、苦手意識がつよい数字とも、

がんばって向き立っています。



そうだ、昨年は一念発起して簿記の資格

も取得しました。しかし、なかには

正直、やりたくない~と思うことも

ありました。



でも、我慢してやるんです。なぜならば、

その先に自分の目的があるから。

望む未来を手にすることができるかも、

しれないという希望があるから。

だから、やるんです。じぶんのために。



これは、ただしい「我慢」であり、これを

「忍耐」と分けています。



これは、自己犠牲ではありませんよね。

自分のために、やっていますから。

主体的にやっています。



ここは、がんばるところ!ですよね。

努力して、やるところ。

やめちゃ、だめなところ。(笑)



自己犠牲の我慢は、自分のためじゃない。

何で私ばっかり?こんな役回り?

貧乏くじを引いたような人生。

口には出さなくても、それは周りに

伝わっています。



あなたのためにやっているの!

ほんとうはやりたくないのに!

そう感じている時点で、その努力は、

方向がズレている、ということ。

まちがった努力を続けていても、望む結果

にはつながらないから。



☆今日のごきげんポイント☆

やりたくないな~と思うことは、

自分の目的達成のためにやっていること?

それとも、誰かのために、しかたなく

自分を犠牲にして、やっていること?

自己犠牲の我慢は、できることから

やめていけたら、いいですね。